アサーティブネスへようこそ
私が「アサーティブネス」という概念に出会ったのは
体調を崩して初めて心療内科へ行った時のこと。
幸い、うつ病などではなかったが、当時の彼氏や
会社の先輩とうまくいかず、とても悩んでいた時だった。
その某心療内科では「アサーティブ・トレーニング」という
試みが始まったばかりで、料金も手ごろだったし
いわゆる「治療」とは別物だったので、受けてみたのであった。
(全4回)
あれから、1年半くらい経っているのだが
アサーティブネスはまだまだちゃんと身についてはいない。
(たぶん、一生追いかけていくんだろう・・・正解がないから)
というわけで、今日はアン・ディクソン氏(第一人者)の講演を
聴きに行った(たまたまだけど、私がプチファンな
勝間和代氏との対談もあった)。
アン・ディクソン氏の話を聞いて、あらためて
自分が組織の中でもがいていること(特に女性の立場)
について、とても考えさせられた。
自分の所属している会社は女性の管理職がほぼゼロで
この環境を変革していくことより転職したほうが
(OR経営陣がTOBとかで変わるほうが 笑)
よっぽど楽なんじゃないかと日々思っているからである。
とにかく、平均年齢43歳&男性7割のオーナー企業(メーカー)
という組織は社会の変化(女性の社会進出)についていけていないと感じる。
もっと痛いのは、無抵抗主義な女性を中心に採用しており
この社風に耐えられなかった女性たちは皆、転職している
という事実である。
(私の組織は管理部門のため、数としては女性が多いが
この約2年で派遣社員含め8人もの人が辞めている。
たった20名強の組織なのに。)
そんな環境であっても、社会に対して(組織に対して)アサーティブな
コミュニケーションを続けていくことは、とても重要、
と、思わざるを得ない内容だった。
このアサーティブネスについてはこちら(リンク)を
見ていただくとして
私が勝手に抱いているイメージとしては
ガンジーの「非暴力、不服従」(無抵抗主義ではない)という概念に近い。
私はまだまだトレーニング中。
だってアサーティブに振舞おうとしている自分を
「こんなに努力しているのに、この人たちはなぜ響かないの」
と、思ってしまうから。
周りが変化しなくてもイライラしないようにしたいものである。
どうせ周りが大して変化しない(OR響かない)のなら
アサーティブに振舞ったほうがいいじゃない、くらいに
思えないと、やっぱり意味がない。
アサーティブに振舞うということは
性格を変えることでもないし、周り(他人)のためにやることでもない
からである。